「お前はもう死んでいる」。「お前は」か「お前が」か――それが問題だ 事例詳細|つなweB
「お前はもう死んでいる」。「お前は」か「お前が」か――それが問題だ

「お前はもう死んでいる」とは、漫画『北斗の拳』(原作:武論尊、作画: 原哲夫)の主人公、ケンシロウの台詞です。一子相伝の暗殺拳「北斗神拳」の第64代伝承者であるケンシロウが、その奥義により、相手が自身の死に気付かぬ間に葬り去った際に使用する決め台詞で、ある種の「死の宣告」「死亡確認」のような意味が含まれています。

実は、原作漫画でケンシロウが「お前はもう死んでいる」と発したのは1度きりです。しかし、他のシーンにおいて「お前はもう死んでる」「きさまは既に死んでいる」「お前は既に死んでいる」といった同様の意味合いのセリフがあり、さらにアニメ版では次回予告など、「お前はもう死んでいる」がフレーズとして多用されました。そのため作品のファンだけでなくミームとして広く浸透し、現在でもケンシロウや『北斗の拳』を象徴する、代名詞的な台詞となっています。

「お前はもう死んでいる」は、なぜモブキャラに向けられたのか

タイトルに書いた「お前はもう死んでいる」、これはご存じ「北斗の拳」における、主人公ケンシロウの決め台詞です。敵の秘孔をアタタタタと突きまくり、まだ意識のある相手に向かって言うわけです。

さて、なぜこちら「お前はもう死んでいる」なのでしょうか。「お前“が”もう死んでいる」ではダメなのでしょうか。ダメかと言われても困ってしまいますが、少なくとも日本語ネイティブである我々からすると、「お前は」と「お前が」の間にある、明確な、それでいて説明しがたい差異を感じるでしょう。

このセリフを言われるのは誰でしょう。ラオウでしょうか? 違います。往々にして漫画における名もなきモブキャラが対象となります。すなわち、「誰が死んだか」などは重要ではなく、「もう死んでいる」という状態こそが伝えたい主題なわけです。もし、死んでいるのが重要人物であるのなら、「が」の出番です。「(この5人中、AさんBさんCさんDさんはまだ元気いっぱい。そのなかで今回ターゲットにした)お前(=重要人物)がもう死んでいる」ということです。「は」と「が」の使い分け、大きなルールを言ってしまえば、「は」は「は」の後が重要で、「が」は「が」の前が重要、ということです。文脈で見ると、それはより明らかになります。

文脈で見ていきましょう。「さっきあなたは何をしていました?」→「私“は”寝ていました」。重要なのは「寝ていた」ことです。では、次にこちらはどうでしょう。「あそこで寝ていたのは誰ですか?」→「私“が”寝ていました」。重要なのは「私」。どうでしょう。今度は、「は」と「が」が混在している文章を見てみましょう。「仕事“は”探してやるものだ。自分“が”創り出すものだ」。こうしてみると、「は」と「が」の前後、どちらが重要かなんとなくわかるのではないでしょうか。

みなさんが制作するWebサイトで、ある商品の説明があるとしましょう。「この商品は、きっとあなたの生活をよりよくしてくれます」、もしくは「この商品が、きっとあなたの生活をよりよくしてくれます」。何が変わるかを伝えたい場合は前者、商品を強く押し出したいときは後者がよいわけです。

「未知」のものに「が」をつけ笑いを生んだ例がある

「既知と未知」という視点でも、「は」と「が」の使い分けが生じます。「むかしむかし、あるところにおじいさんとおばあさん“が”住んでいました。おじいさん“は”山へ芝刈りに~」。いかがでしょう。物語のはじめ、読者に初めて人物を提示するときは「が」が使われ、すでに知ってもらったおじいさんを説明する際は「は」に変わっています。これは、疑問文で考えるとわかりやすいです。①これは何ですか/出口はどこですか ②どの人が田中さんですか/あそこに何がありますか。①の「これ」や「出口」はすでに「共有事実」、すなわち既知です。一方「どの人」「何」は未知。だから「が」なのです。

「これは何ですか」の答えは「これは石です」とか「宝石です」などが考えられます。「どの人が田中さんですか」の答えは、「眼鏡をかけた赤い服の人が田中さんです」。そうです、答えにおいては、最初に書いた「は」は「は」の後が重要で、「が」は「が」の前が重要という考えが当てはまるのです。

すなわち、疑問の「は/が」と回答の「は/が」は一致しているほうが自然なのです。「どの人が田中さんですか」に対し、「田中さんは、眼鏡をかけた赤い服の人です」と返してももちろん通じます(「は」に変えたときは、後ろに重要情報が配置されていますよね)。この「ズレ」を活用した表現例で有名なものがあります。「なんだチミは!」→「そうです、私が変なおじさんです」。有名なフレーズですが、考えてみると変なのです。「君は誰だ」という、「誰なのか」という問いに対し、「それは私です」と答えているわけです。「変なおじさんはもう有名で、その正体は私です」と言っているわけで、「変なおじさん」を勝手に共有知化している「文脈のおかしさ」がここにあるのです。志村さんの強烈なルックスとあのダンス以前に、自己紹介からして常識を破壊していた、というわけです。

最後は「排斥」の「が」。「岡さんは編集長だ/岡さんが編集長だ」。前者は一般的な情報を伝えているのに対し、後者は、複数人いろいろな職務の人がいる中で、編集長=岡さんだけ、ということを示しています。「本誌においてそれ以外の人は編集長ではない」という「排斥」の意味を持っているわけです。「ほかならぬ」。このニュアンスが「が」には現れます。事実、「ほかならぬ」かどうかは、わかりませんが。

 

「『Web Designing』は面白いですよ」と「『Web Designing』が面白いですよ」。例えば書店員さんが、新米Webデザイナーに対し、本を推薦していたとしましょう。後者は、「ほかの競合誌を排除し、『Web Designing』だけをプッシュしている」感が強いですよね。

 

 

松井謙介
株式会社ワン・パブリッシング取締役兼メディアビジネス本部長。20年間雑誌(コンテンツ)制作に従事。現在はメディア運営のマネジメントをしながら、コンテンツの多角的な活用を実践中。自社のメディアのみならず、企業のメディア運営や広告のコピーライティングなども手掛ける。ウェブサイトのディレクション業務経験も豊富。

 

松井謙介
Web Designing 2023年4月号(2023年2月17日発売)掲載記事を転載

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