コンテンツ制作はAIに、でいいのか? 事例詳細|つなweB

CMSやコンテンツ配信系のSaaSにはAIが組み込まれ始めています。プロンプトさえ入れると簡単な記事ならすぐにそれっぽい文章が出てくるし、要約などはお手の物です。しかも、どれもまあいい感じにアウトプットしてくれるので、私を含む国語力に自信のない者にとっては救いの手のように感じます。

ただ、「真っ白な画面でプロンプトを書いて記事を書いてもらう」みたいなシーンは、少なくとも私の仕事現場ではあまりリアリティがないのが本音です。出典不明な場合が多く、何よりもそれっぽく書かれているが実は間違っているという、いわゆる「ハルシネーション」がとても厄介です。しれっと事実と異なることを混ぜてきたりするので油断なりません。

そういうことから考えると、多くのAIプロダクト・機能が“ゼロから何かを生成する”というよりも、作業のサポート・拡張的な役割にわきまえている場合がほとんどではないかと思います。私自身、編集業務で活用している部分はあります。例えば記事タイトルのラフ案を出してもらったり、短い概要・SNS投稿文を考えてもらったり、というようなことです。

ゼロからのコンテンツ制作ではなく、AIに提案をしてもらい、編集者自身が判断するというプロセスですが、最近はこの「提案」というのも曲者だと感じています。

なにか提案をされた時点で我々には強烈なバイアスがかかってしまい、あたかもそれが絶対的な選択肢のように思えてしまう時があるからです。「もっと他にあるでしょ」って思えるのは一定の経験やスキルのある人であり、多くの方は「この中だったらこれかな」と選択してしまう傾向にあります。

特にヴィジョンのないコンテンツ制作者が提案されると、反抗することなく即採用してしまうわけで、そうなると人はもうAIの操り人形と同じです。言い換えれば、AIがゼロからコンテンツを吐き出してくれる状態とあまり変わらず、下手するとハルシネーションの片棒を担ぐことにもなりかねません。

つまり、提案型のAIであっても、大小重ねていくと人間の意図が薄れていってしまう危険性があるということです。

画面に書いた英語の添削をしてくれる「Grammarly」という素晴らしいサービスがあります。まとまった文章はもちろん、メールやSNSのメッセージもその場で添削・提案してくれるのでとても助かります。ただ、言われた通りにどんどん直していくと、自分の声から離れる時があります。フォーマルかフレンドリーかなど、テキストのトーンを指定できるのですが、出来上がったメールが、シンプルに自分らしくないと感じることも多くあります。たとえ、文法が間違っていたとしても自分らしい言葉を優先したくなり、あまり使わなくなってしまいました。

AI機能に頼ると、誰でも「それっぽい」文章や「しっくりくる」結果が返ってくるわけですが、必ずしもそれで当初の目的を達成できるわけではないと思います。

我々がなぜコンテンツをつくるのかというと、伝えたいからであり、爪痕を残したいからではないでしょうか。それっぽいコンテンツがまん延しているインターネットにどうすれば心に残るコンテンツを生み出せるのでしょうか。

私はこんなご時世だからこそ、少し違和感のある、やたら人肌を感じる、ある種「変」なコンテンツを追求しないと、埋もれてしまうと思っています。AIに仕事が奪われる、なんてよく言われるセリフですが、コンテンツ制作において仕事が奪われる人がいるとすれば、それらしいことを言うことでなんとなく仕事をしてきた人たちだと思っています。逆にいえばそれを叩きとして何を生み出すのか、というのが今後のコンテンツ制作のスタートラインになっていくのではないでしょうか。

 

正確性や読みやすさ、親しみやすさなど、色々な指標で文章を提案してくれる「Grammarly」アプリの画面。 私の運営する「Spectrum Tokyo」の記事では、直しすぎてインタビューイーのキャラクターが損なわれそうになる場面もありました

 

三瓶亮
株式会社フライング・ペンギンズにて新規事業開発とブランド/コンテンツ戦略を担当。また、北欧のデザインカンファレンス「Design Matters Tokyo」も主宰。前職の株式会社メンバーズでは「UX MILK」を立ち上げ、国内最大のUXデザインコミュニティへと育てる。ゲームとパンクロックが好き。 個人サイト: https://brainmosh.com Twitter @3mp

 

三瓶亮
Web Designing 2023年10月号(2023年8月18日発売)掲載記事を転載