カタカナ語は絶対×ではない共通認識の有無が重要
本誌は『Web Designing』です。いうまでもなく、「Webの設計・構築」に関する情報誌であり、その紙面には幾多の、否、おびただしい数の英語・外来語・カタカナ語が誌面を賑わせています。
【例文】このディメンションとメトリクスの違いと役割を理解していれば、標準レポートは格段に使いやすくなります。例えば、トラフィックの流入元を示すディメンションと、ユーザーの利用しているデバイスの種類を示すセカンダリディメンションを追加することで、2つのデータを比較しながらユーザーがどのデバイスをどのような使い方でサイトやアプリにアクセスしてきたのかを、より詳細に把握できるようになります(Web Designing 2023年6月号P085より)。
全223文字中、カタカナが70文字。これは、『Web Designing』というある意味閉じられた空間で発信する情報だからこそ許されている表現。それぞれがGA4の各種ツールに対応する名詞であり、そこを翻訳して日本語にしてしまえば、読者の理解度が著しく損なわれてしまいます。すなわちこれは、大正解。「理解度を上げるため」にカタカナ語を使っているという事例です。では次のような文章が企業のWebに掲載されていたらどうでしょう。
【例文】当社のCSRは、各ステークホルダーに対し、厳密なコンプライアンスとコーポレートガバナンスの徹底を行うことがベースであると考えます。そのためにまずは、サプライチェーンをクリアにする必要があり、同時に各ファクトリーと緊密なパートナーシップを築いてまいります。
恐ろしい。書いていて恥ずかしくなりましたが、ここまで豪快でなくとも、「結構ありがちじゃね?」とも思います。大切なのは、カタカナ語を使うことが「共通認識下で理解が進むか」、それとも逆に「直観的な理解を妨げるか」という判断。本誌読者は企業やサービスのWebを制作する立場の人が多いはず。ならば、この前提を特に強く意識しないとなりません。なぜなら、顧客の皆様は必ずしも皆様と同じリテラシーを有しているとは限らないから。あっ、「リテラシー」とか言っちゃいました。これは果たして正しいカタカナ語使いなのでしょうか。
カタカナ語は0か1かではなく適切な分量にすべし
いわゆる文章術の解説書などを見ると「わけのわからないカタカナ語は理解を妨げるだけ! かっこつけずに日本語で表現しましょう」という説明がよくあります。しかし、世の中には「日本語にすることで、どうしても理解が遅くなる」ワードというのもあるのです。先に触れた「リテラシー」。これ、本によっては「知識・教養」と言い換えよと説明しているものもありますが、先ほどの文章で「知識」と変換したら、どうにも物足りません。
×必ずしも同じ知識を有しているとは限らないから。
そう、「リテラシー」は、「ある分野に関する知識や、活用する能力」くらいの幅を持つ意味なのです。すなわちこのケースではカタカナ語のままでいくか、表現をさらに丁寧にし、「顧客の皆様は、必ずしも同じレベルでの知識やスキルを有しているとは限らないから」とするのがいいのです。どちらがいいのかは、執筆する文章の読み手の特徴、経歴、スキルなどを勘案し、書き分けると親切でしょう。
また、現代の日本人はカタカナ語に慣れており、「ある程度カタカナ語がある方が読みやすい」という状況にあります。前述のCSRに関わるカタカナ語表現、こちらを日本語だけにしてみました。
【例文】当社における企業の社会的責任とは、企業運営上の利害関係者に対し、厳密な法令順守と企業統治の徹底を行うことが下地にあると考えます。そのためにまずは、製品の原材料・部品の調達から販売に至るまでの一連の流れを透明にする必要があり、同時に各工場と緊密な協力・互助関係を築いてまいります。
古語か。というくらい堅いです。
【例文】当社のCSRは、各ステークホルダーに対し、厳密な法令順守と企業統治の徹底を行うことがベースであると考えます。そのためにまずは、サプライチェーン(製品の原材料・部品の調達・販売までの流れ)を透明にする必要があり、同時に各工場と緊密なパートナーシップを築いてまいります。
このくらいが読みやすく、理解しやすいはず。「サプライチェーン」のように、共通認識が高いか低いか見えにくいものは、カッコで補足を入れてあげるといいでしょう。


- まついけんすけ
- 株式会社ワン・パブリッシング取締役兼メディアビジネス本部長。20年間雑誌(コンテンツ)制作に従事。現在はメディア運営のマネジメントをしながら、コンテンツの多角的な活用を実践中。自社のメディアのみならず、企業のメディア運営や広告のコピーライティングなども手掛ける。ウェブサイトのディレクション業務経験も豊富。